Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

家茂

第14代将軍家茂(いえもち)

藩主の長男として江戸紀伊藩邸で生まれ、幼名を菊千代、のちに慶福(よしとみ)と名乗った。4歳で紀伊藩主となったが、13代将軍家定に嗣子が無かったので、慶福は一橋慶喜とともに将軍継嗣の候補に挙がる。ここで、慶喜を推す島津斉彬ら一橋派と慶福を推す井伊直弼南紀派が対立、熾烈な将軍継嗣バトルが展開される。養父、斉彬の意をたいした天璋院篤姫の努力もむなしく、直弼の大老就任とともに継嗣は慶福に決定、第14代将軍家茂が誕生。以後、直弼による一橋派への弾圧が始まることとなるが、この間の事はドラマ「篤姫」でかなり深くドラマティックに描かれた。
 公武合体策により、家茂は17歳で孝明天皇の妹・和宮と結婚。彼女、武家風を嫌いイヤイヤながらの結婚だったが、篤姫の取り計らいもありだんだん家茂の好青年ぶりにも惹かれ、以後夫婦相和して暮らした。さて、雅な和宮が惚れてしまうほど、家茂は本当に好青年だったのだろうか。ドラマの家茂役の松田翔太松田優作の息子)は面長のやや愁いを含んだ現代風のイケメンであるが。

 江戸時代は将軍や婦人達が亡くなると、遺体は火葬にせずに土葬した。上野の寛永寺とともに芝の増上寺は徳川家の菩提所である。昭和33年に増上寺の改修工事が行われた際に将軍家の墓も発掘されて、人類学者による発掘調査が行われた。その時の家茂の頭蓋骨を見聞すると、12代家慶につぐ馬面である。特徴的なのは高い鼻であり、鼻根の幅は将軍の中で最も狭く、隆起は一番高い。しかも鼻筋のすらりと通った面立ちだったと推測されるという。性質も優しかったであろう事は、天璋院をほんとの母のように「母上様」といって慕っていたことからもうかがえる(ドラマでは、べたべたと嫌らしくもあったが)。和宮さん、相当面食いだったのです。イケメン松田翔太はナイスキャストだったといえる。

 ところで、家茂は甘いものに目がなく、発掘された遺骨から30本の歯が虫歯に侵されていた。虫歯がもとで体力と抵抗力が低下して持病の脚気が悪化。悪いことに見舞の品は羊羹・氷砂糖・カステラ・懐中もなかなど甘いものばかり。糖分はビタミンB1の消費を促し、脚気を悪化させる。ついに心臓にも変調が現れ重症化していき、長州戦の最中、心臓脚気で亡くなった。享年21歳。13代、14代と続けて脚気で若死にした。家茂と和宮との結婚後4年目であった。(参考 「徳川将軍家15代のカルテ」)