求菩提・羅漢寺
福岡県豊前市と築上町にまたがる、標高782?の火山で修験道の山として知られている。継体天皇20年(526)、孟覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)が開山、養老4年(720)、行善が求菩提山護国寺を創建。その後衰退したが、12世紀(平安末期)に宇佐郡出身の天台宗の僧・頼厳(らいげん)が再興し、山岳信仰の修験道の礎を作ったといわれる。
明治になって神仏分離例に伴う廃仏毀釈や修験道禁止令によって長い歴史を閉じることになるが、山中には往時を偲ばせる坊跡や400段の石段、険しい崖道等がたくさん残っている。
求菩提資料館では、恒遠館長自らが分かりやすく詳しい説明をしてくれた。印象に残った展示物は、山頂で発見された5,6世紀のものと見られる須恵器の小片と、33枚の国宝の「銅板法華経」であるが、「銅板法華経」の本物は現在福岡の九州国立博物館にあり、ここに展示されているものはそのレプリカだという。
求菩提山も資料館前の公園も、いま、紅黄葉の真っ盛りであった。
羅漢寺
紅葉の見頃には今ひとつという青洞門・競秀峰を対岸に見て、羅漢寺へと急ぐ。麓の禅海堂から本堂へはリフトで登る。
縁起によると、インドの僧がこの地で修行したのが始まりで、室町時代、3代将軍足利義満から「羅漢寺」の名を賜ったという。江戸時代は徳川家より100石を給され、郡内では最大規模の寺院となった。貝原益軒も『豊国紀行』で「鎮西の勝地」と称している。平安時代の天台宗から、臨済宗を経て曹洞宗に改まってから現住職で27代という。現本堂は昭和18年に類焼し、昭和44年に再興された。
山門一帯はいまや紅黄葉真っ盛りで、多くの行楽客でにぎわっていた。