Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

俳句


この俳句大会は、作家・横光利一の生誕百年を記念して平成11年に始まり、今年で10回目の節目を迎えた。
横光利一(1898〜1947)は宇佐出身の父・梅次郎と伊賀町(現・三重県伊賀市)出身の母・こぎくとの間に父の仕事先の福島県で生まれた(利一の本籍は生涯宇佐にあった。)

菊池寛に認められ、川端康成を紹介されて親友となる。新感覚派のリーダーとして、昭和初期からめざましい活躍を見せ、昭和10年代には「文学の神様」と称された。代表作に「日輪」「上海」「機械」などがある。半生をかけて書き続けた未完の大作「旅愁」の中で、主人公が故郷の九州を訪ねる場面には、宇佐の自然や人々とのふれあいが描かれている。友人・知人に俳人も多く自らも熱心に句作をし、自作の句を小説にも織り込んだ。また、句会「十日会」を主宰し、俳人水原秋桜子石田波郷が参加したほか、門人の石坂友二や清水基吉は、小説家のかたわら俳人としても活躍した。
(以上、第10回「横光利一俳句大会」入賞作品集 より抜粋)

この俳句大会の生みの親は横光の愛弟子の清水基吉であり、別府市の「蕗」主宰・倉田紘文とともに選者を務めていたが、今年3月に89歳で逝去。清水基吉は芥川賞作家であることは知っていたが、受賞作品が何かは知らなかった。ところが、今夏発行された『昭和二十年の「文藝春秋」』(文春文庫)に昭和20年3月号に発表された清水基吉の芥川受賞作品『雁立(かりたち)』があり、読むことができた。惹かれ合う青年と娘の心の交流を叙情的に描いた短編小説であるが、終戦の年の26歳の受賞である。今こそ若手の受賞者が多いが、この頃の26歳は例外的といえる若さであった。

さて、今年の俳句大会であるが、清水基吉亡き後に作家・立松和平が選者に加わった。応募総数8947句のうち一般の部が3872句、中学生以下の部が5075句。開催以来初めて宇佐市内全小中学校から応募があったために、一般の部よりこども達の方が応募句が多かったのである。宇佐もアジなことをするものだ。

子規や虚子を輩出した松山市では、毎年、高校生の「俳句甲子園」を開き、全国からの選抜チームが俳句日本一を目指して競い合う。また、倉田紘文の選でこどもだけの句集『蕗の薹集』が編まれ、投句集も多いと聞く。
昨日、俳句人口は多いが高齢者ばかりで、やはり俳句は年寄り趣味かと書いたが、今や俳句は若年層の愛好者も増えつつある。『蕗の薹集』の中の一句「くろとんぼあかぐみさんとあそんでる」(5さい ほそいひろき)。すばらしい観察眼と感性だ。
芭蕉は「俳諧は三尺(せき)の童にさせよ」と言った。ほんと、俳句の師はこどもだと思う。

昨年から利一大会に応募してるが、今年も3847句中の150句内の佳作止まりであった。
その拙句、「昼寝子にとめてはあふぐ団扇風」