Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

米作り

メル友もすなるブログといふものを、吾もしてみむとてするなり。
金は持たずとも、時を充分に持てるHimagineなれば、日々、心にうつりゆくよしなしごとを「Himagine日記」として記さむとす。されど熱しやすく冷めやすく、あまつさへ気まぐれなる性分なれば、DiaryとはいかずSometimesとなるべし。

我が家から歩いて5分ばかり山手に登ると、湾曲した棚田が開ける。いま、稲の収穫時期である。夫婦が架け干しにした稲を脱穀していた。「今年の米の出来はどげーでー。」と私。「まあまあじゃなー。骨折って米をつくってんが、なんぼにもならん。」と男。私は稲架から良く乾いて軽くなった稲束をはずしたり、邪魔にならん程度に加勢のまねごとをしながら世間話をした。米農家の高齢化が進み、ここの棚田も年々作り手が減り田が荒れてきた見わたせば四分の一程は耕作放棄田となり、セイダカアワダチソウや茅が生い茂ってしまっている。
「米は買うたほうが安いが、作らんことにや先祖代々受け継いできた田圃が荒れ地になってしまうきなー。」と男。作業をしている隣は昨年から作らぬようになったというのに、葛の蔓や茅が覆いすでに原野となっている。昨年も83歳の労農夫が「もう儂ン代で百姓も終わりじゃが、毎年、今年まではつくらにゃと思うてきちょるがなー」とため息混じりで語っていた。

この国の食糧自給率が40%を割るというのに、米作りの行く末はどうなるのだろう。

今年まで今年まではと米作る手の爪厚き八十三歳