Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

バリアフリー特別企画「小樽・函館3日間」

          

千歳市にある「サケのふるさと館」はサケ科の魚はもちろん、さまざまな種類の淡水魚を集めた水族館である。巨大水槽を元気に泳ぐサケを見つめては「おいしそうだな」と、下衆の関心は視覚からついつい味覚に移ってしまう。

    インディアン水車
見下ろせば鮭溯る千歳川

小樽はかつてはニシンの町であった。ソーラン節の歌詞に♪群来(くき)が続けば千両や万両…♪
とあるが、ニシンの群れが押し寄せて大漁が続き、大儲けをした網元はニシン御殿を建てたといわれる。そのニシン御殿が高速道のバスの中から一瞬の間、遠望できた。
  

 札幌場外市 
この一帯は北海道の豊かな海産物を売る店が軒を連ねている。北島サブちゃんがヒョイと顔を覗かせそうな“北の漁場”という屋号の店もあった。
 
 
 白い恋人パーク
 ここの中心に建つ時計塔には1時間おきにからくり人形があらわれて、ゆっくり回転し楽しませてくれる。
 
小樽運河
 
 小樽は異国情緒漂う町であるが、古い大きな倉庫群をバックにした運河の風景は味わい深い。
 
石原裕次郎記念館


裕次郎には個人的には関心は薄いが、さすがに一時代を風靡したスターらしく、ヨット、車から衣装、靴、ネクタイ、装飾品等贅の限りを尽くした遺品が所狭しと展示されている。父親の勤務の関係で子どもの頃小樽に住んだというだけのことでここ小樽に建てられた記念館だが、金持ちのボンボンの道楽三昧の品々か、とややいじけた気持ちで館内を見て廻った。

北海道開拓の村
ここは、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54,2ヘクタールの敷地に移築・復元、再現した野外博物館である。この広大な敷地に、市街地群・漁村群・農村群・山村群の4つのゾーンが広がり、北海道に入植してきた人々の歴史や産業、生活の一部を理解できる貴重な景観遺産であるといえる。ここはもっと見学時間がほしかった。
  
     旧開拓使札幌本庁舎
北海道にしては遅い紅葉が、今始まったばかりである。
明治の初めに開拓使が設置されて以来北海道開拓は本格的に始まったが、開拓者たちは全国から集まった。明治15(1882)年〜昭和10(1935)年の移住者の出身府県は青森県の68,855戸が最も多い。大分県からも2,472戸が移住している(解説パンフより)。全国各地から入植したという名残は、文字通り出身地の地名が今なお残っていることからわかる。観光バスの中から「広島」、「白石(宮城県)、「山口」の地名が見えた。
北海道の開拓期には重要な輸送手段として馬車鉄道の存在を見落としてはいけない。明治30(1897)年、北海道最初の馬車鉄道として亀函馬車鉄道が函館で開通して以来、昭和2(1927)年まで、15の馬車鉄道会社が路線を開通し、石炭・木材などの輸送を担った。
 現在、この開拓村に観光用の馬車鉄道がゆっくり走っている。
   
   
乗車賃270円を払って乗った馬車鉄道で、往時を偲んだ。
   

障がいを持った人も持たない人も、共に自由に生きられる社会を目指してバリアフリー社会の実現が提唱されて来たが、社会の現実はどれほどバリアーが無くなっているのだろうか。かつて、病弱児養護学校で学ぶ子どもたちの遠足や修学旅行の介助をしたときに、まだまだ公共の場でのバリアーがきつく、たとえば車椅子の乗降に便利なタクシーやマイクロバスは少なかった。
今回、大分県互助会のバリアフリー10周年企画の標記の旅に応募したのは、今のバリアフリーの状況がどのようになっているのかを、障害がいのある側に身を置いた一旅行者として体験したかったからでもある。脚に軽度の障害のある妻の??歳の誕生記念もかねて、二人にとって初のの北海道旅行となった。
大分〜福岡空港の往復は、日豊バスのリフト付きバスである。一組の車椅子がこのリフトを利用し、4組の車椅子利用者は乗り口で車椅子を降り、介助されてバスに乗り込んだ。空港では空港が用意した車椅子に乗り換えてきれいなサポーターに押されて、車椅子優先で搭乗することができた。ANA289便で1時間10分の快適な空の旅フライト後、新千歳空港では、現地社会福祉協議会派遣の3人のボランティアさんが、車椅子の介助をしてくれた。3日間の観光で利用する現地の札幌中央交通の大型観光バスも側面にあるリフトで、1組は車椅子のまま乗車できた。ホテルも段差無く、バス・トイレも広々と車椅子には快適だったのではないだろうか。
バリアフリーは公共の場の段差を無くしたり、障がい者用のトイレの設置等、ひと頃に比べればずいぶん障がい者や高齢者に配慮されつつある。このような目に見える物理的ないわばハード面のバリアに比べ、人の心の中の心理的な目に見えない、いわばソフト面のバリアーは充分にフリーになっているだろうか。事故や病気だけでなく、高齢化によって杖や車椅子を必要とする人々はこれからますます増える。これら何らかのハンディーを持つ人への偏見や差別がなくなってこそ真のバリアフリーが実現し、障がい者が障害のない人々と同じように社会に出て「生活の質(QOL)」を高めることができる。

 Wが6組,Sが2人計14人の少人数、小範囲のゆとりある北海道旅行であった。2泊3日という旅程は、車椅子を使用する旅行者にとってはさほど無理のないまずまずの企画だったと思う。
互助会のBさんや大分バス添乗員のUさんの行き届いた配慮、気配りのおかげで、道中無事故で楽しい旅行ができた。謝意を表したい。
今後も多くの人が参加出来る、楽しいバリアフリー旅行を企画してほしいものだ。