Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 錦秋

裏山や近くのあちこちに見る紅葉や黄葉が、ここ2,3日のうちに鮮やかさを増してきました。落葉樹の葉が色づき始めるのが気温10度c以下になってから、8度cを下るとさらに色を濃くするといいます。明日の天気予報では、ここ別府市の最低気温が5度cとなっていますから、さらに錦秋の色が極まるでしょう。
      ウルシ三態
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「もみじ」は「紅葉」の字が当てられますが、奈良時代までは「黄葉」と書き、モミチ・モミチバと読むのが普通でした。『万葉集』には「秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに」(大伴家持、「黄葉(もみちば)の過ぎにし子らとたづさはり遊びし磯を見れば悲しき」(柿本人麻呂など多くの用例があります。
 「もみじ」を「紅葉」と書くようになったのは平安時代以降のようです。古今集に「紅葉(モミチ・モミチバ)」は多くの用例が見られます。「風吹けば落つる紅葉(モミチバ)水清み散らぬ影さへ底に見えつつ」(凡河内見躬恒)、「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり」(紀貫之、また小倉百人一首にも入っている「このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」(菅原道真などです。
ところで、本文のタイトルを「錦秋」としましたが、「錦繍の秋」など秋を錦にたとえるのは漢詩の影響と思われますが、古今集あたりから常套句となったようです。「竜田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」(よみ人しらず)、「竜田川錦織りかく神無月時雨の雨をたてぬきにして」(よみ人しらず)などは、紅葉の名所で有名な奈良県生駒の竜田川の川面を散り流れる紅葉を想像して詠んだのでしょう。さしずめ、竜田川のコマーシャルイメージソングといったところでしょうか。(以上 集英社版『大歳時記』参照)
そうそう、明治44年に高野辰之さんが作詩した尋常小学校唱歌第2学年用「紅葉」の2番の歌詞「渓の流れに散り浮く紅葉 波にゆられて離れて寄って 赤や黄色の色様々に 水の上にも織る錦」は、つい1週間前の演奏会のステージで歌った唱歌ですが、「…水の上にも織る錦」とありますよ。辰之さんは、詠み人知らずの竜田川の2首をきっと読んでいたのでしょうね。
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅(からくれない)に水くくるとは」(在原業平小倉百人一首にも選入されている有名な歌ですが、これをもとにした「千早振る」という上方落語がまた有名ですね。八五郎に歌の意味を問われた岩田のご隠居が知らぬと言うのも沽券に関わるので、いろいろこじつけた解釈をするというものです。この歌、ご隠居ならずとも一般にはわかりにくいので、「業平はこころ多くして言葉少なし」と批判されたとか。ともあれ、八っつあんとご隠居のやりとりに抱腹絶倒の、面白い上方落語です。

紅葉(黄葉)することを「もみづる」「もみいづる」という動詞を使うこともありますが、これは古く奈良時代に「モミツ」という動詞が使われていたことから今に続いていると思われます。用例を探し出しました。紅葉づるや女の裸身舟のごと 横山千夏(新版・俳句歳時記 第二版 雄山閣)何ともなまめかしい佳句です。