Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

男声合唱のための唱歌メドレー『ふるさとの四季』

 これは明治・大正・昭和にわたって歌い継がれた尋常小学校唱歌を、源田俊一郎さんが編曲した懐かしいメドレーです。「故郷」・「春の小川」・「朧月夜」・「鯉のぼり」・「茶摘み」・「夏は来ぬ」・「われは海の子」・「村祭」・「紅葉」・「冬景色」・「雪」の11曲です。これらの唱歌は、一定年齢以上の人は子どもの頃学校でよく歌い、今でも歌詞を殆どそらんじている懐かしい曲ばかりです。いまだによく覚えているのは歌詞の内容が、子どもの頃の実体験に基づいていることがが多いことと、七七調・七五調・五七調で書かれていることだからではないでしょうか。とはいえ、歌詞をよく読んでみますと、尋常小学校の子どもでは意味がよくわからない文語体もありますし、勘違いしてずっと覚えている部分があったりもします。「故郷」の出だしの「兎追いし」を作家の故・向田邦子さんでさえ、「うさぎおいしい」と思っていたというのですから。
 そこで、ちょうど今の季節の唱歌「朧月夜」の歌詞の意味を、自分自身で確かめるつもりで書いてみました。
       

            高野辰之 作詞
(一)菜の花畠に 入り日薄れ 
   見わたす山の端 霞ふかし
   春風そよふく 空を見れば
   夕月かかりて におい淡し
(二)里わの火影も 森の色も
   田中の小路を たどる人も
   蛙のなくねも かねの音も
   さながら霞める 朧月夜 (大正3年 尋常小学校6学年用)
★山の端(は):山のはし。空との境。
★におい;(夕月の)光り。
「におい」は現在ではもっぱら嗅覚での感覚をいうが、古くは視覚の感覚の方が一般的で、「色が美しい。華やかなこと。照り映える」などの意味でした。たとえば「あをによしならの都は咲く花のにほふが如く今盛りなり(万葉集巻三)」(美しい奈良の都は、咲く花の華やかなように今さかんである)のように。
ここでは、「夕月の光りがおぼろに霞んでいる」情景です。
★里わの火影:里のあたりの灯火のひかり。
★霞める:ここでは「火影」「色」「人」という視覚に映るものも、「蛙のなく声」「かねの音」のように聴覚に訴えるものもみんな「霞んでいる朧月夜」なのです。
のどかな春の日に聞こえてくる鐘の音を「霞む」と感じるのは、俳句歳時記に「鐘霞む」「鐘朧」が春の季語として出ていることから、珍しくない感覚なのでしょう。
夕暮れややうやう霞む町の鐘  吐月
何とも難しい歌詞の歌を、当時の小学生たちは詩の意味を理解して歌っていたのでしょうか。しかし、そのときはわからなくても、大人になってから理解できるということでもいいのかもしれませんね。もっと昔から、寺子屋や藩校などで論語素読など、訳がわからなくても子どもたちは結構鍛えられていたようですから。
 ついでに、「霞」は気象用語にはなく、時には霧や靄(もや)、黄砂、層雲などの薄曇りの状態をいうようです。気象観測上では、大気中に浮かぶ水滴のために水平視程が1キロメートル未満となった場合を「霧」といい、1キロメートル以上の時を「靄」と呼んでいます。俳句では「霞」は春の、「霧」は秋の季語という約束になっていますが、「靄」はなぜか季語に入っていません。
ほのぼのと春こそ空にきにけらし天の香具山霞たなびく  後鳥羽院新古今集
いにしえ人は、隣国からの春の招かざる客・黄砂や花粉症には悩まされなかったのでしょうか。
それよりなにより、歌詞の意味をよく理解し、暗譜が課されている『ふるさとの四季』11曲を早く立派に歌えるようにならなければ…。