Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

えとについて考える

       

 来年は丑年か、年賀状を書かなきゃなどとつぶやいている御仁も多かろう。干支といえば子や丑など十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)ばかりが話題になり、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)の影が薄い。えとを漢字で書けば干支の筈なのにと思って『広辞苑 第四版』を見た。
 「兄(え)弟(と)」の意。(1)十干十二支。十干を五行(木・火・土・金・水)に配当し、陽をあらわす兄(え)、陰をあらわす弟(と)をつけて名とした甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)に、十二支を組み合わせたもの。甲子(きのえね)・乙丑(きのとうし)など60種の組み合わせを年・月・日に当てて用いる。(2)十二支。年、特に生年や方位・時刻に当てる。「今年の…は丑だ」
 この(2)の説明によれば、えとを子・丑・寅…の十二支だけと解釈してもいいのだろうが、古い広辞苑第二版には上の(2)は書かれていない。時代によって変わるということか。
 十干十二支の組み合わせがなぜ60種あるかは、10と12の最小公倍数が60になるから分かる。60年で一通り暦が終わり61年目がまたもとの干支の同じ組み合わせに還るからこの年を「還暦」と言うのは周知のこと。赤ん坊に戻るからとて、赤いちゃんちゃんこなど着てお祝いされるというのは今でも人生節目の慶事となっている。
 干支の組み合わせでよく知られているものもある。「丙午(ひのえうま)」生まれの女は長じてオトコを不幸にするとかオトコを食い殺すなどと昔は言われた。ばかばかしい迷信には違いないが、我がこととなると迷信でも怖いんですね。年齢別の人口数を調べた人口ピラミッドというのがあって、1906年(明治39年)生まれと60年後の1966年(昭和41年)生まれの人口が男女とも前後の年に比べて極端に凹んでいる。オトコを食い殺す女の子が生まれたらこまるからと、産児制限したんですね。我が息子は昭和42年生まれ、丙午の次の年で前年の反動で人口が多かった。受験を初め、競争が激しいソンな年に生まれたかなと思ったものだ。明治39年の丙午年生まれに、新日鉄社長。参議院議員などを務めた故藤井丙午(へいご)がいる。なぜ彼を思いだしたかというと、我が亡父と同年生まれだったからである(二人は何の関係もないが)。甲子園球場は1924年(大正13年)の「甲子(きのえね)」年に建設されたからこの名が付いた、というのもよく知られている。
 ところで私は「庚辰(かのえたつ)」生まれである。来年の干支は、正しくは「己丑(つちのとうし)」であるが、モー、「変」な事件や、「変」な政治家による「変」な政治は御免である。
 今晩の我が忘年会に集まる仲間に、還暦未満が年々少なくなった。Sさんもすぐに絶滅危惧種になりそうだ。あ、こんな事言ってる場合じゃない、年賀状を書かなきゃ(^_^;)。