Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

八月や六日九日十五日 再び

2018(平成30)年3月26日の朝日俳壇コラムうたをよむ欄に「八月や」が伝えるものという小林良作氏の文を読んだ。所属する句会の8月例会の前にこのことを思い出して、一昨年小林氏が著した『八月や六日九日十五日』を1冊広島原爆投下の日の8月6日に鴻発行所にファックスで注文したところ、長崎原爆投下の日の9日に届いた。この51ページの小冊子は、著者が所属する句会に同句を応募したところ先行句ありとして取り消されたことをきっかけに、果たしてこの句の最初の詠み手は誰だったのかを探すという執念の“俳句探偵”のドキュメントである。じつは自分も同句を俳句雑誌に投稿しようとして念のためインターネットで調べたところ先行句があり、投稿を断念した(2009年)。さらに2011年5月14日宇佐航空隊平和ウォークに参加した際、城井1号掩体壕のある平和公園に林立する句歌碑の中の最初の句碑に、八月や六日九日十五日 尾道市 諫見勝則とあるのを発見し、驚いてしまった。戦時体験を共有した人の何人かは一字一句違わない同一句を詠むものかと感慨を深くした。このことは2011年8月4日、ブログHimagine雑記に書いた。小林良作著『八月や六日九日十五日』が届いた9日、一気に読んでしまったが、14ページ〜15ページに小林氏が2011年のHimagine雑記を読んで内容のあらましを紹介してくれている。そして著者は平和公園の句碑の作者、諌見勝則氏を追跡することになる。私は句碑を見たとき、諌見さんとは何歳でどんな方なんだろうと思っただけだったが、著者小林氏はとことん‘探偵’のすえ作者の出身地、職業、家族までたどり着くのである。すさまじい執念に驚嘆するばかりだ。拙ブログが俳句探訪に取りかかった動機の一つとなったと記してくれていることは、この句を発表することを断念した者のひとりとしてしてもうれしく思う。
 
 毎年八月になると、メディアが終戦特集を組み興味深く観たり読んだりするが、私は例年、何か関連の1冊を読むならいである。今年は没後70年を迎える朝河貫一の『日本の禍機』(1909年発刊)を読み進めている。
今年の暑さを気象庁は「危険な暑さ」と表現している。酷暑の八月は多くの御霊に祈りを捧げる月でもある。
八月や幾たび合はす掌  剛誠