Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 県出身真打競演落語寄席

県芸術文化振興会議・大分合同新聞社主催で19日、いいちこグランシアタで開かれた。Oさんご夫妻と聞きに行ったが、APUの学園祭の時以来の落語寄席を楽しんだ。
          
前座のあとにまず玖珠町出身の三遊亭鳳志が「徂徠豆腐」を、続いて宇佐市出身の桂平治が「浮世床」、三遊亭歌奴が「佐野山」を、そしておおとりには豊後大野市出身の柳亭市馬が「長屋の花見」を演じた。
「佐野山」
「佐野山」は相撲の“人情話”で、講談でも語られるが、いかにもタイムリーな噺であった。寛政の名横綱谷風梶之助が生涯にただ一度、相手に同情して相撲を負けてやった噺である。十両佐野山は母親の看病でろくに稽古をする暇もない上に、貧乏で毎日粥ばかりすすっていて力が出ず負け相撲ばかりである。これを聞いた谷風は、本来あり得ない横綱谷風と十両佐野山の取り組みを組ませ、結びの一番を取った。観衆は佐野山を応援し、谷風のまわしに佐野山が手を触れただけで5両、もろ差しに慣れたら10両、買ったら100両と賭ける者も出る始末。勝負は誰もが予想しなかった佐野山の勝ち。
 今日問題になっている大相撲力士の、携帯電話の記録が証拠となった八百長相撲であるが、これは谷風の“人情相撲”とはだいぶおもむきが違う。また、八百屋の長兵衛が相撲部屋の年寄りと、ご機嫌取りのために常に1勝1敗となるように碁を打ったという本来の八百長の意味とも違うのは、勝負の星を金銭で売り買いしたという点である。インチキ、イカサマ、ナレアイ、無気力相撲いずれも観客を愚弄するものである。
現代の八百長問題ははたしてどのように決着するのだろうか。相撲好きにとっては、春場所の中止は寂しいかぎりではある。