Himagine雑記

思いついたときに気ままに書く雑記帳

 “核密約文書”発見

1972年の沖縄返還ををめぐる日米首脳間で取り交わされた合意議事録が見つかったというニュース、私にとっては。今年の十大ニュースの一つである。なぜ、私にとってなのか。
 1972年5月の沖縄の祖国復帰の前後、県下の高校教職員の間に高校生に沖縄を教える教材が乏しいとか、教師自身の沖縄に関する知識も万全ではないので、まず教師用の参考書を作れないかという声が起こった。そこで教職員組合の教育文化部門で参考書づくりが計画された。県下の10人の社会科教師の編集委員の1人に選ばれ、沖縄へ資料探しに出掛けた。沖縄の祖国復帰直後の1972年12月、那覇で祖国復帰同盟事務局長のNさんに話を伺った。「復帰おめでとうございます。ところで、“祖国復帰同盟”の看板がまだ掛かったままなのはなぜですか」と聞くと「“核抜き・本土並み”という要求が曖昧なままの完全でない現状のもとでの復帰は、本当の復帰ではないからです。」という答えだった。以来、このN事務局長の言葉が私の頭の中にずっとこびりついたままだった。
故・佐藤栄作首相は、核兵器を「もたず・つくらず・もちこまず」のいわゆる非核三原則をかかげ、米国と沖縄返還交渉に当たってきた。「沖縄返還なくして日本の戦後は終わらない」という信念のもとに米国と積極的に外交交渉を続けていた。ところが沖縄復帰後の東西冷戦下にあって、沖縄や日本各地の米軍基地に核搭載の戦闘機や戦艦が来ているのではないかとの疑いが起こり、そんな時は日米安保条約にもとづく事前協議があるはずだ、米国から事前協議がない限り核持ち込みの心配はないというのが一貫した政府の態度だった。ところが、1971年の沖縄返還協定にからみ、本来アメリカ側が地権者に払うべき土地原状回復費400万ドルを日本政府が肩代わりするという密約があったとする情報を新聞記者が社会党議員に漏らしたり(西山事件 注)、2000年5月にはアメリカの公文書館で25年間の秘密指定が解かれた公文書の中に密約を裏付ける文書が発見されている。
また、2006年2月8日、北海道新聞の取材に対して、吉野文六・元外務相アメリカ局長が「400万ドルを日本政府が肩代わりすることを約束した文書に署名した」と認め、そして今年、2009年12月1日、元毎日新聞記者西山太吉が密約文書の開示を政府に求めた情報公開訴訟の口頭弁論の場で、吉野文六は同じ内容の証言をしている。この間、政府は国会答弁や記者会見で代々の外相や官房長官(川口順子外務大臣河野洋平外務大臣福田靖官房長官安倍晋三官房長官)が、「密約はなかった」という政府答弁を繰り返してきた。
       
今月12月23日の各紙はこぞって上記のニュースについて報じ、社説を書いている。これは日米の両首脳が1969年の沖縄返還合意の際、有事に於ける核兵器の再持ち込みと使用を、事前協議を通じて認めるという合意文書であり、故・佐藤栄作氏の遺品にあったのを次男の元通産相佐藤信二氏が明らかにしたものである。
朝日新聞にTOP SECRETの英語の原文と和訳文が載っていたが,Richard NixonとEisaku Satoの直筆署名もある。これはまぎれもなく、1969年11月21日発表のニクソン米大統領と佐藤首相による共同声明による合意議事録である。この文書には「…米国政府はまた、沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納、那覇辺野古及びナイキ・ハーキュリーズ基地を、いつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の際には実際に使用できるように求める。…」全く「核抜き」ではない、
私が37年前、祖国復帰同盟事務局長のNさんから聞いた「核抜き・本土並み」があいまいなままでの復帰には反対だ、ということばの重みを今さらのように噛みしめる。
さて、鳩山民主党政権になってから、外務省の密約調査は有識者委員会に検証作業を委ねられている。実はこの密約があったということは、1969年11月のワシントンの首脳会談で交渉に関わった若泉敬・元京都産業大学教授が(故人)が1994年5月に刊行した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋社)に書かれていた。
       
この本を新聞広告で見てすぐに買ったのだが、分厚くて字が小さいのであとで読もうと書棚にいれたままだった。今回の「密約文書発見」の新聞記事を見てとりだしてみて驚いた。見開きの写真の一部「11月12日、キッシンジャー補佐官から著者(若泉敬)に手渡されたニクソン・佐藤日米両首脳の極秘の『合意議事録』の英文草案」が、23日の朝日新聞の「沖縄核密約の原文」(佐藤信二氏所蔵のもの)と全く同じなのだ。若杉本に書かれている合意議事録の原本は見つかっていないとされていたが、この佐藤信二氏所有の英文がそのものズバリであったのだ。
この本、8ポ位の小さな文字で、2段組A5版630ページのボリュームで、読み応えのありそうな書籍ではある。
鳩山政権は、沖縄の基地移設問題を、米国、沖縄住民、連立2党の要求の挟間で悩み先送りしてしまった。そういう今こそ、この文書が公文書だったのか否か、有効期限はいつまでなのか、正式に誰に引き継がれたのか或いは敢えて引き継がなかったのか等々、有識者委員会によるこの合意議事録の今後の検証作業に注目しなければなるまい。
それにしても、非核三原則をもって佐藤栄作氏はノーベル平和賞を受賞したのだが、非核三原則がくつがえるような密約文書が実在したとなると、平和賞受賞根拠が揺らぐことにはならないのだろうか。
(注)西山事件      
1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏らした毎日新聞社政治部記者の西山太一記者と西山記者に情報を漏洩した外務省の女性事務員が国家公務員法違反で有罪となった事件。判決文中、西山記者が女性と「情を通じて」情報を仕入れたとあったので、マスコミの多くが事件の本質より、二人の男女問題にスポットを当てた報道を繰り広げた。西山記者は毎日新聞社退職後の現在も、国に対して沖縄密約情報公開訴訟の原告として争っている。