松尾芭蕉が歩いた「奥の細道」は、敬愛する西行の足跡をたどる旅だった。西行が「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ「遊行柳」(栃木県那須町芦野)を訪れた芭蕉は、元禄2年(1689)年に
水せきて早苗たばぬる柳陰 と詠んだががこれを推敲し、
水せきて早苗たばぬる柳哉
とした。しかし、立ち止まるべき場所で苗を束ねさせたら、西行の歌の心情が台無しになるとしてさらに推敲し、
田一枚植ゑて立去る柳かな としたという。
その他の芭蕉の推敲過程の例。
山寺や岩にしみつく蝉の声
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さびしさや岩にしみ込む蝉のこゑ
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閑かさや岩にしみ入る蝉の声
秋風や石吹き颪す浅間山
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吹き颪す浅間は石の野分かな
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吹き落す浅間は石の野分かな
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吹き落す石は野分の浅間かな
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吹き飛ばす石は浅間の野分かな
近頃俳句ができない。俳句の上達法の一つは「多作多捨」ともいうが、一日に1句も浮かばないことすらあるので捨てようにも捨てる句がない。たまにできても、推敲の過程で初めのイメージがつぶれてしまう。今やスランプ状態である。俳聖と仰がれた芭蕉さんですら何回も推敲を重ねているのを知ると、頑張らなければと思うのだが…。
目薬の蓋手探りに花粉症